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連載

『夜明け前』の「電気情報通信」

2015年12月11日

 いわゆる「幕末・明治モノ」の中で圧倒的な存在なのが島崎藤村の「夜明け前」だ。この文学作品に凝縮された迫真の歴史スペクタクルに「電気情報通信」は姿を現すか? もちろん、それは極めて印象深い場面で登場し、その姿は感動的ですらある。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(6・完)

2015年12月04日

 「幕末・明治モノ」というと明治維新がいくら無血革命だったと言っても、実際には沢山の血が流れたし、また思想的にもめまぐるしい戦いがあり、どちらかというと肩の凝る物語になりがちだ。そんな中、ひたすら爽やかな青春群像ドラマとして描かれているのが林望の「薩摩スチューデント、西へ」である。(初版2007年、文庫版2010年)。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(5)

2015年11月27日

 松本健一に導かれての「佐久間象山」、再び「電信」が登場するのは、弟子の吉田松陰下田踏海事件に連座し、幽閉生活になって、その中でも生活の管理が一段と厳しくなってから2年目あたりのことである。佐久間象山は気落ちする中にも矜持を失わず意気軒昂であった。ときに安政五年(1858年)3月、安政の大獄の少し前、京都にいた梁川星巌あての手紙が紹介されている。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(4)

2015年11月16日13:46

 長野に知人ができ、しばしば訪れるようになった。東京から訪問すると筆者の趣向を見計らって近隣を案内していただける。今夏はもちろんまずは善光寺ご開帳。賑わう門前を楽しんだあとに、プラス・アルファでいくつかのスポットへ。それが今回はなんと「松代象山地下壕」。象山は「ぞうざん」と読み、これはその地下壕の地名だ。あの大東亜戦争末期、本土決戦に備えて大本営や皇居などの待避を考えて構築した未完の巨大地下壕の跡である。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(3)

2015年11月10日20:00

 米国・ボストンから大西洋を渡った岩倉使節団の旅、イギリスはリバプールに上陸して、エジンバラ、ハイランド地方、ニューカッスル、ブラッドフォード、シェフィールド、バーミンガム、チェスター、ロンドン、ポーツマス、ニューヘブン、そしてドーバーとくまなく回り、徹底して産業施設を見聞し、文化を感じ、要人と面談している。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(2)

2015年11月03日

 明治四年(1871)に横浜港を出発した岩倉使節団の1年10ヶ月におよぶ世界一周視察旅行は、不発に終わった不平等条約改正交渉という目的を越えて、その後の日本だけでなく、アジア、そして世界の歴史を形成する空前絶後の旅となった。その強烈なインパクトは140余年後の今日の世界情勢の中にも連綿と流れているように見える。

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(1)

2015年10月26日

 「電気情報通信」は近代国家の屋台骨を支えているのだが、気のせいか、その存在が歴史の表舞台に露出する場面は少ない。社会基盤というのはそういうものかも知れない。 
 革命期の幕末、明治ではどうだろう。いわゆる「歴史モノ」を読んでいると、「電気情報通信」が顔を出す場面が時々ある。そんな場面を並べて楽しむのは趣味の領域かも知れないが、斯界の先駆者への認識を新たにするという意味でなにがしかの意義はあるだろう。以下にこの分野に長く身を置いている者として、気のついたイベントのコレクションを綴ってみた。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(13)

2015年06月10日 11:59

米国カリフォルニア州での日本人排斥政策の具体化で、各州の独立性を思い知った明治政府は、政府間だけでなく国民外交の必要性を痛感した。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(12)

2015年06月03日 17:32

 移民排斥をめぐって日米関係が急迫する中、明治三十九年(1906)4月、サンフランシスコ大地震が発生した。日本赤十字社が救済義捐金を募集し、渋沢栄一は各企業に寄付を依頼、日本からの寄付金は25万ドルを超え、この額は全世界からの義捐金総額の過半となった。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(11)

2015年05月25日 08:15

明治三十五年(1902)、62歳の渋沢栄一は半年に及んで欧米を歴訪した。その最後の1ヶ月はロンドンを拠点とした欧州巡行だった。それは幕末、徳川昭武に随行してパリを拠点に滞在してから実に39年ぶりの欧州である。この間渋沢栄一個人にとっても日本にとってもまさに隔世、その感慨はいかに、と思うところだが実際は大いに異なった。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(10)

2015年05月15日 09:45

津本陽「小説 渋沢栄一」、終段に来て授爵の話題がある。団塊世代にはピンとこないが、いくつかの大きな含意がある。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(9)

2015年05月07日 09:01

 津本陽に導かれた渋沢栄一の生涯、日々これ戦いといった激烈な実業界の活動が続くが、明治三十八年、札幌麦酒が日本麦酒および大阪麦酒と合併し大日本麦酒が誕生したところで、ちょっと一服、その人となりを示すやや挿話的な記述になる。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(8)

2015年04月26日 16:30

 次の話題は紡績業。これは当時の世界の覇者英国の産業革命の推進役となり、植民地経営の基盤となっていた産業である。渋沢栄一は訪欧時、世界の繊維産業の中心地フランスのリヨンで紡績業の実情を見学していた。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な⑦

2015年04月15日 11:21

実業家渋沢栄一の社会活動はその実業活動と密接に織り重なりながら次第に活発化した。まずは証券取引所の開設、ついで条約改正問題を背景とした世論吸い上げ機構としての商法会議所の開設、そして米国前大統領グラント将軍の来日歓迎とつづく。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な⑥

2015年04月06日 09:11

 津本陽「小説 渋沢栄一」下巻の中段にさしかかったところでいよいよ実業のバトルが始まる。最初の相手は岩崎弥太郎。あのNHK大河ドラマ『龍馬伝』での香川照之の熱演が思い浮かぶ。以下、津本陽に導かれて壮絶なバトルを追ってみる。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な⑤

2015年03月31日 05:53

 時系列で語られる津本陽「小説 渋沢栄一」はしばしば金融危機に襲われる。小野組破綻のあと明治八年から九年、今度は当時金貨兌換銀行券を発行していた国立銀行の兌換制度そのものの破綻である。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な④

2015年03月17日 11:02

一般に実業家渋沢栄一というと「第一国立銀行の頭取になり、その立場から数々の会社設立に関わりその育成に尽力した」と伝えられるが、その草創期はそんなに甘くない。実際は苦心惨憺、もの凄いプレッシャーのなかでの汗まみれの激闘だった。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な〜津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで〜③

2015年03月07日 15:32

 津本陽「小説 渋沢栄一」は伝記作品で、その生涯をもっぱら時系列に追う。第一国立銀行の業務が波乱の中に新体制で滑り出しほっとしたところで、いきなり社会事業へ視点が移る。話は明治七年、渋沢栄一が銀行業務で多忙な中、東京府知事から「共有金」の取り締まりを委託されたことに始まる。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(2)

2015年02月25日 15:42

 明治六年5月、渋沢栄一はいわゆる「在野の人」になった。大蔵省最後のひと仕事は銀行業務を監督する人材皆無の大蔵省に、横浜東洋銀行書記のイギリス人、アレクサンダー・アーレン・シャンドを紙幣頭付属書記官として3年契約で雇用することだった。渋沢栄一を含めて皆このシャンドから簿記を習うことになった。

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な(1)

2015年02月15日 08:50

 渋沢栄一の生涯、Wikiの表現では「日本の武士(幕臣)、官僚、実業家」とあるが、津本陽の「小説 渋沢栄一」では下巻に突入してもいましばらく官僚生活が残る。その先どんな展開が待っているのだろう。それは決して「官僚だった渋沢栄一はその後民間に転出し実業家として大成しました」、などという生やさしいものではない。91歳で没するまで、あくなき闘志で鮮烈な戦いが続いた。
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